
MOTCHED!REBORN!
さあ行こう、羽黒山の2,446段、「生まれ変わりの旅」へーーー ふと耳にしたのが出羽三山の「生まれかわりの旅」という言葉...羽黒山の2,446段の石段を登ることで、心身が浄化され、新たな自分に出会えるという。運動不足の我々が挑む様子をみてみてください。
November 7, 2025

なんだか、最近ずっと疲れていないだろうか?
スマートフォンの通知は鳴り止まず、次から次へと情報が流れ込んでくる。
仕事中も、食事中も、ベッドに入ってからも、私たちは常に何かに接続され、脳は休む暇もない。
思考は浅くなり、集中力は途切れがち。気づけば「スマホに使われる自分」になってはいないか 。
情報過多による、いわば「脳の便秘」状態だ 。
このままではいけない...一度すべてをリセットしたい。
強制的にでも、デジタルデバイス、俗世のつながりから離れ、自分自身と向き合う時間が必要だ。

世に言う「デジタルデトックス」というヤツである。
そんな時、ふと耳にしたのが出羽三山の「生まれかわりの旅」という言葉だった。
羽黒山の2,446段の石段を登ることで、心身が浄化され、新たな自分に出会えるという。
…これだ。
もちろん知ってはいたし、幼少期の課外学習で経験したというメンバーも多い。
しかし、大人になってから再び参加したことがある、という人は少ないのでないだろうか。
ーーー古来より続く巡礼の道。
それは、現代人が抱える「つながりすぎ」という名の穢れを祓うための、最高の処方箋ではないか。
険しい山道を一歩一歩踏みしめる行為は、無心になるための「動的な瞑想」そのもの...雑念を振り払い、「今、ここ」に集中するマインドフルネスの状態を作り出すッ...!!
果たして、デジタルに侵された私たちの心は、この神聖な道で本当にリブートできるのか。

早速車で移動し、いでは文化記念館に降り立った 。
これから始まる非日常への期待が静かに高まっていく。
本格的な登山装備は必要ない。
動きやすい服装とスニーカーがあれば十分だ 。ただ、季節によっては虫除けスプレーや帽子、そして何より水分は欠かせない 。
もし準備に不安があっても、麓にある「いでは文化記念館」に立ち寄れば、スニーカーや長靴の無料レンタル、杖の有料貸し出しサービスがあるので心強い。
この記念館では、出羽三山の歴史や修験道、「生まれかわりの旅」の意味を学ぶことができる展示があり、これから歩む一歩一歩の意味を深く理解する事ができる。


いよいよ、「石段詣」の始まりだ。
受付でスマートフォンを使って登録し(あれ...?)、首にかける神聖な縄「お注連(おしめ)」を受け取る 。


これは山中の魔障から身を守る結界であり、神仏との縁を結ぶ証でもある 。
さらに、願いを込めて色とりどりの「縁紐(えにしひも)」をお注連に結びつける。
色ごとに運が分かれていて
この小さな儀式が、旅をより個人的で、意味深いものにしてくれる。


この縁紐、メンバー3名の内2名が「フル装備」、1名は「学業以外全部」。
...悲しくらいに煩悩にまみれたセットリストだが、とにかくこれで進んでいくこととなった。

聖域の入り口である随神門(ずいしんもん)の前に立つ。
かつて仁王門と呼ばれたこの門をくぐると、ひんやりとした神域の空気が肌を撫で、俗世との間に見えない一線が引かれるのを感じる。
俗世との間に見えない境界線が引かれたかのように、空気がふっと変わる。

かつては仁王門と呼ばれたこの門は、明治時代の神仏分離令以前の記憶を留め、訪れる者を神域へと厳かに迎え入れる。
ここから始まるのは、単なる山登りではない。
それは、心と身体を清め、新たな自分へと生まれかわるための、深遠なる精神的な旅路の第一歩なのである。
目の前に広がるのは、山頂まで約1.7kmから2kmにわたって続く、2,446段の石段。
しかし、この道は挑戦すべき試練の階段ではなく、古来より「産道(さんどう)」、すなわち精神的な再生のための通路と伝えられてきた。
この道を一歩一歩踏みしめる行為そのものが、出羽三山信仰の核心をなす「生まれかわりの旅」の始まりを意味する。

旅はまず「継子坂(ままこざか)」という坂を下ることから始まる 。
これは、かつて巡礼者が身を清めたという祓川(はらいがわ)へと続く道。
先にある須賀の滝(すがのたき)の清らかな水音が、心の塵を洗い流してくれるようだ。
橋を渡ると、樹齢1000年を超える巨木「爺杉(じじすぎ)」が、天を突くようにそびえ立っている。



その圧倒的な生命力に見守られながら進むと、杉木立の間に、静かにたたずむ国宝・羽黒山五重塔が現れる。
平安時代に平将門が創建したと伝わる東北最古の塔。
その素木造(しらきづくり)の簡素で洗練された姿は、周囲の自然と完璧に調和し、ただただ息をのむほどの美しさだ。


まだ始まったばかりなのに、圧巻の景色が次々と目の前に現れる。
ただ、「人のため」のゾーンではないからだろうか、常に「お邪魔します」という気持ちが湧いてくる、不思議な気分にさせられた。

五重塔を過ぎると、いよいよ本格的な登りが始まる。
目の前に立ちはだかるのは、ただひたすらにの石段。
これは単なる階段ではなく、精神的な再生のための「産道(さんどう)」なのだという。
まずは「一の坂」。ここからが本当の始まりだ。

息が上がり、ダラダラ汗が滴り落ちる。
息つく間もなく現れるのが、最大の難所「二の坂」。別名「油溢し(あぶらこぼし)」。
あまりの急勾配に、かの武蔵坊弁慶でさえ油をこぼしたという伝説にも頷ける。
一歩、また一歩と、自分の呼吸と心臓の鼓動だけの世界になっていく。



まさに心も折れかけたその時、二の坂を登りきった絶妙な場所に「二の坂茶屋」が現れる 。
まるで砂漠のオアシスだ。ここでいただく手作りの力餅と抹茶は、疲れた身体に染み渡る 。
窓から庄内平野を眺めながらのひと休みは、まさに至福のひとときとなる...



毎度、我々の下調べの甘さには吐き気がする。
見事に営業時間外であった。
心と膝が折れつつも、ここで一休みすることに。
建物が立っていることから樹木に隙間があり、風が抜けてきて気持ちがいい。
こんなに高いところまで登ってきていたのか、とここで実感した。
...よく考えれば、このコンディションでお餅なんか食べたら余計動けなくなるような気もする。

オアシスで力を得ることもなく、我々は無常にも最後の「三の坂」へ。
長さはあるが、ゴールが近いという希望が足を前に進ませてくれる 。
途中には、縁結びの神様を祀る「埴山姫神社(はにやまひめじんじゃ)」がある 。
良縁を願い、静かに手を合わせる。




また、脇道に入れば、松尾芭蕉が句を詠んだ南谷の跡地もあり、文学的な思索にふけることもできる 。

長く厳しいこの神聖な道のりには、実はもう一つの楽しみが隠されている。
段に刻まれた、33個の彫り物を探すことだ。
盃やひょうたん、蓮の花といった素朴な彫刻は、石段を敷設した石工たちの遊び心だという。
33個すべてを見つけると、大願が成就すると伝えられている。


足元に集中し、息を切らしながら宝物を探していると、知らず知らずのうちに無心になっている自分に気づく。
この非日常感は、ちょっと他では味わえない。


長い石段を登りきると、大きな鳥居が私たちを迎えてくれた。ついに、山頂だ。
目の前に広がるのは、厚さ2.1mもの茅葺屋根を持つ、荘厳な「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」。
ここが、この旅の目的地。羽黒山、月山、湯殿山の三神が合わせて祀られており、ここを参拝すれば、三山すべてをお参りしたことになるという、全国でも類を見ない社殿だ。



その圧倒的な存在感の前に立つと、登ってきた疲れも忘れ、ただただ敬虔な気持ちに満たされる。
社殿の正面には、神秘的な「鏡池(かがみいけ)」が広がる。
古来、人々が祈りを込めて銅鏡を奉納したというこの池、独特なしきたりに思いを馳せながら歩いていると、ようやく息が落ち着いてきた。
もし時間があるなら、山伏の家系が営む宿坊に一泊するのもいいだろう。
朝のお勤めに参加し、山の生活リズムに身を置くことで、この「生まれかわりの旅」は、より深く心に刻まれるはずだ。
2,446段の石段を一段一段踏みしめたこの旅は、単なる山登りではなかった。
それは、自らの足で歴史と自然と対話し、自分自身の内なる声に耳を澄ます、動的な瞑想だった。
身体的な達成感とともに、心が洗われ、新たな活力が湧いてくるのを感じる。
これこそが、「生まれかわり」ということなのかもしれない。



登頂の達成感と敬虔な気持ちに満たされ、これで旅のハイライトは終わったと、誰もが思っていた。
だが、羽黒山はまだ、私たちに最後の教えを授けようとしていたのだ。
「下りは楽だろう」という安易な考えは、最初の一歩で打ち砕かれる。

登りで体力を試された石段は、下りでは全く別の顔を見せた。
一歩一歩の高さも幅も不規則な石段は、下りでは驚くほど歩きにくい。
心地よいリズムなどどこにもなく、一歩ごとに足の置き場を探り、体全体のバランスを取り直さなければならない 。

いや、この下り道こそが、「生まれかわりの旅」の最終章だったのかもしれない...
登りで俗世の垢を汗と共に流し去り、無心になる。
そして下りでは、生まれかわったばかりの身体で、一歩の重み、地面との繋がりを、これ以上ないほど慎重に思い知らされながら、我々はまた俗世へと戻っていくのであった...
おしまい





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